アイデンティティ(自己同一性)
意:人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。
自己同一性
意:狭義で、事物がそれ自身に同じであること。特に人格が自己として一貫することをいう。
広辞苑より。
ここ最近ヴァーチャル方面でいろいろと考えることがあり、悩んだりもしていました。
どうすれば、いい方向に行くのか、どうすれば、どうすれば、どうすれば…
最終的には、私の考えていたものとみなさんが描いていたものとが根本的な部分で食い違っていたいたんだと思います。
それを認識したのが昨夜でした。
『みんながみんな、同じ考えではない』
そう、言われました。
久しぶりに聞きましたね。
この意見に対して、私も同意見です。古人も言っています『十人十色』。
しかしながら、その台詞がでた事象について私にとってどうしても甘えにしかおもえなかった。
そしてふっと気づいたんです。
物事に関する考え方が違うんだって。
『考え方の違い』それは元をたどれば、『過してきた環境の違い』といえるでしょう。
そう考えると、私自身納得がいきます。
なぜと聞かれるなら、そうですね…
世間一般で言うところの『普通の生活環境』といったものが、どのように定義されているのかは分かりませんけど、一つ言える事は私が過した環境は『特異』なものだったでしょう。
その事に本当の意味で気づいた高校入学時、割とさっぱりしていましたね。
このことについて、詳しく書くことは今は控えます。
書くとすれば、『あるべき事が当たり前だったことが、なくなった時』にでも載せるでしょう。
そういった事もあり、早いか遅いのか分からないけれど、私のアイデンティティなるものは小学校を卒業する頃には、既にほとんどの部分が確立していたと思う。
先日岐阜の叔父夫婦が遊びに来ていたとき、母に謝罪されたそうです。
『気づいて上げる事が遅かった』と。
それに対して、母は
『荒削りになってしまったけど、道を外れる事もなく育ってくれたのだからいいのだ』
と言われたそうだ。
その話を聞いたとき私は
『それが当たり前だと思って育ったんだから、気にやむことはない』
と母に言うしかなかった。もう少し気の利いた事をいえただろうに…。
妹にいたっては、『特異な環境』である事を認知しないように、私なりに配慮はしていたつもりです。
意外と鋭い面もあるからどうだったか。
そういったこともあり、私の考え方は歳の割には変に“大人びて”いる。
この表現が妥当だとは思っていないですけど。
いや、大人びているからこそ、思想がまだまだ『ガキ』なんでしょう。
先にも述べたように、環境が違えばおのずと考え方は違ってきます。
私が今まで“普通だ”と思ってやってきた事が、曖昧に扱われていたりすると疑問に思ってしまう。
そういった面での違いで、今回話を頓着してしまったでしょう。
そういった場合、私に注意したり考えさせたりしていただきたい。
結論から言えば、違うのであれば同じになればいい。
周りが同じ色のパネルを掲げているのであれば、違う自分は同じ色の裏面にひっくり返ればいい。
集を成す為に、個を殺さなければならない事象はいくらでもある。
今回もそうゆことでしょう。
しばらくは、違和感を感じるでしょう。
気に病むこともあるかもしれない。
でも、私なら大丈夫です。
『自分が言うほど、そういうことはそうではない』といいますけど、大丈夫です。
『追い詰められた時の、回避・抜け出す術』は心得ています。
そういったものが身につく環境だったから…
…はぁ、かなーり真面目トークで弱音はいちゃいましたねw
私は意外と気持ち整理できたからよかったけど、付き合ってもらった方々が骨折れちゃったかなwwww ┐(´∀`)┌
最近よく聴く曲があるんです。
マッキーがリカバーした、作詞・作曲:中島みゆきさんで『ファイト!』
うーん、ほんとお世話になりっぱなしw
気が滅入ったりしたらよく聴いてるんですよねぇ (*´Д`*)
ニコチン補給してる時に、よく口ずさむのもこの曲 (/ω\)
これからも、この曲にはお世話になりっぱなしなんだろなぁ~と思いつつ、本日はここまで!
ご清聴あざぁーす!wPR